反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2015-05-08

 髪の色を変更しました。もともと若干明るかった髪に、ブリーチを2回、青紫のカラートリートメント*1、アッシュ系のカラー剤を順に使用しました。灰色というか銀色というかを目指していたのですが、結構難しいですね。あと、色の維持が困難です。「気持ちだけでも明るくしようと思って。」

 何でこんなことになったのかと質問(心配)されることも少なくないので、この件に関してはまた後日まとめて書こうと思います。写真を求められて慣れない「自撮り」をしようとして、彼彼女らはこんなことを気軽にたくさんしているのかと思うと、もやもやした気分になりました。写真が苦手になった理由についても、また機会があれば。うまく髪部分だけとれた気がするので、あげておきます。

 

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*1:MANIC PANIC の LIE LOCKS

2015-03-04

 引っ越しも終わって部屋の片付けも進んで、新しい季節が来るのを待つ三月。ついに厳密な意味で「東京」に住むことになったわけですが、だからと言って特に何も変わりありません。今のところは。

 たまに、幼かった頃を思い出してもやもやした感情が現れます。あのときの自分の選択は正しかったのかとか、そのときの両親の想いは、周囲の人たちの反応はどうだったのかとか。間違いの延長に自分がいるとは思いたくなくて、正当化してしまいがちだけれど、きっとあのとき自分は確実に「失敗」していて、その延長線上に今いると思わざるを得ないこともあります。それをうまく受け入れて、昇華させていけるかが大事なのであって、いつまでも過去の人でいてはいけないなと思います。

 

 今も自分の身の回りには様々な問題でいっぱいです。解りあえないと嘆きたくなって精神的に押し潰されそうになる人も、そこには確かにいます。いくら自分の発する言葉に気をつけても、伝わってほしいように伝わらないことだってあります。言葉を失いかけた僕にできることはなんだろうかと、必至で模索しています。

 たまには救いがほしい。

2015-02-10

 記憶にすら残らないから、せめて記録には残したいと思う。

 毎日決まった時間に起きることができるのはすごいことなのだけれど、それを厳格に守ろうとするためだけに、急な予定の追加を避けるのはもったいない気がします。急な誘いで夜更かししてしまうこともあるし、それによって生活のリズムが崩れてしまうこともあるのですが、休みがあって調整できるのであればたまには良いのかなと思います。

 何が言いたいかというと、昨日10時(朝)に寝て、起きたのが今日の4時頃だったというわけです。これは言いわけじゃない。

 今日は、パレスホテル東京というところでマジックの営業をしてきます。初対面の人に見せる機会は久しぶりで、不安ですが今までどおりやればなんとかなると思います。3月末にはジャパンカップのスタッフをさせていただくということもあって、マジックへのモチベーションは高まりつつあります。

2015-01-28

 長い春休みなのだけれど、朝から学校に向かう。部屋にこもっていると腐ってしまうからだ。昨年春からジャグリングを始めた友人と、体育館でボールを投げてみる。彼のように上手くはないけれど、一つ一つの技が習得できそうでできないという、案外心地よい気持ちで打ち込むことができている。昼前には筋トレをして、体重よ増えてくれと祈りつつプロテインを牛乳に溶かして飲む。BMIが18.5を越えていないと、ほとんどの治験に参加できない。怖いもの見たさもあって、治験にはぜひ参加してみたいのだ。参加できればレポートするつもり。

 親族の急逝。誕生日*1と通夜が重なっていて、複雑な気持ち。喜んでいいのか迷ってしまっている時点で、それは喜んでいない側に傾いているのであって、そんなふうに迷うくらいなら清々しく喜びを表明したほうが精神的にはいいのではないかと考えたり。まあ誕生日には数人に祝ってもらえて嬉しかった。

 生まれたらおめでたくて、死ぬと悲しい。良くも悪くもそういうふうになっているみたいで、それは受け入れていく方が生きやすいのかもしれない。

*1:1月26日です

2015-01-27

 長い間おやすみしすぎた。

 

 8月の帰省の後、しばらくして下旬、髪を染めました。厳密には、脱色。今まで黒髪を突き通してきた(というかそのままにしてきた)自分にとっては、色を変えるということは多分大きなことだったと思います。灰になればいいのにという思いとは裏腹に、なかなかすぐには色が入りません。金髪を経て、数回のブリーチでやっとグレーに近くなってきました。しかしそれも何回か髪を洗えば落ちて金になってくるのです。見かける度に髪色の違う人がいて、なんなんだと思っていたのだけれど、その人の気持ちが少しだけ分かりました。管理、大変なのです。

 五年連用日記は空白が多くなってしまいました。どうしたものか。休み*1にゆっくりと埋めていこうかなとも思っています。来年度から色々な変更があって、長期休暇がかなり増えそうです。有効利用しないと腐ってしまう。

 継続って難しいなと、今更ながら。

 いつのまにか新年が明けていました。去年の目標の一つに「『チャラく』なる」というふざけたものがあったのですが、達成されたのかどうかはよく分かりません。積極的になろうとしたつもりです。今年の目標は「捨てる勇気」にしました。昨年の黒髪を「捨てる」行為もその一つだと思うし、選ぶための手段として、捨てることを大事に(それは抱え込むという意味ではなく!)していきたいです。

 削っていくその行為は、磨くことと同義であると思いたいのだ。

*1:ただいま絶賛春休み中なのです

2014-08-18

 部屋が汚い。

 足の踏み場もない状況です。数ヶ月前くらいからこの状態が続いていて、精神的にも何らかの影響が出ているように思います。ゴキブリとかいう生命体を、この下宿に入って初めて見ました。特に何も感じなかったので放置しておきました。多くの人が嫌っているのは、何か害があるからなのか、単純に「生理的に無理」っていうものなのか、よく分かりませんが。次に見かけたときのために、とりあえず殺虫剤を買っておきました。

 7月末から8月前半にかけて、帰省*1していました。東京で仲良くなった人を誘ったので、半ば旅行のような形になったのだけれど、自分にとっては慣れていた土地を、そうではない人が体験することで、別の視点を得られるという意味では非常に良かったと思います。空がこんなに綺麗だったなんて、以前は感じなかっただろうし。まあそれはそれで悲しいことなのかもしれません。綺麗だと感じたことは、多分綺麗ではないものを見てしまったからなのだと思います。自分のよく居た場所のことは、知っているようで案外知らないものだなと感じました。地元の観光地とか。観光として利用してこなかったからなあ。

 先日は、日本橋のアートアクアリウムを見に行ってきました。生きた金魚なんですね。「金魚王国」って、こんな感じなのかも。思っていたよりも良い場所だったので、ぜひ見に行ってみてはどうでしょうか。綺麗です。ただ、人が多いです。

 花火にしてもそうなのだけれど、こういう展示のようなものを体験する時、最近はカメラ越しに見ている人をよく見かけます。確かに保存できることは良いことなのだけれど、ちょっともったいない。生の眼で見る実物の方が、より鮮明なのに。撮った写真は、そこまで見返されるというわけでもないし、きっと「撮る行為」が楽しみ方の一つになっているのかもなと感じました。

 長期休暇には、どうしても「変わりたい病」が出てしまうみたいです。結局何も変われないことが多くて、本当にどうしようもないのだけれど、そろそろ真に決断すべき時なのだと思います。もう待ってはくれない時間なのだ。

*1:実家は福岡県です

2014-07-12

 お久しぶりです。

 いつの間にか、心に余裕のない人になっていたようです。形として実在しない部位の、イメージとしての空間である現実離れした「それ」によって、現実が追い詰められているというのは、苦しいです。自分のことを棚に上げて、周りを見ては残念がって、僕は悪くない環境が良くないって言って、自分で変えようとしなかったんですね。それは、非常によくない。こんなこと言うだけ言ってもしかたないですけど。

 余裕がなさすぎて、五月半ばから日記が止まっていました。昨年の冬に購入した、五年連用日記。今、必死に遡っています。整理ができていなかったから、精神的にも整いを失ってきていたのかもしれません。声をかけられて始めたマジックバーも、お休みすることにしました。僕の中で、みんなは何が不思議に見えて、何を望んでいて、どうあればいいのか分からなくなりました。ちょっとした恐怖症が出てきたのかもしれません。学内で起きた盗難事件も、隠蔽されてしまいそうです。実害にあっていない僕は、大きく出られなくて、ただ眺めていることしかできません。

 全体として、もう駄目だと諦めを感じてしまいそうになっているのだと思います。「諦める」とはマイナスのイメージが伴いますが、それは、ある方法を諦めるのであって、生きることにはまだ執着していきます。別のアプローチを考えるのだ。

 夏、休暇がとれたら、アウトプットの機会を増やしたいと思っています。

2014-05-05

 言葉を口にするだけではなくて、文字にして可視化するという形式でアウトプットすることも大事だと思いました。ここ最近、吐き出す時間がとれないでいて不完全燃焼のまま過ごしています。

 

 4月はあっという間に過ぎてしまったようだ。ゆっくりする時間はあまりなかった。人間関係の不気味さを覚えることもあるし、言葉の使い方を再考する機会も得られたし、簡潔に表現できないのだけれど(それは僕の語彙が足りないのかもしれない!)、まあ、伝えたいことが伝わるように表現できればそれだけでいいのかなという気もするのだ。ただそれでは妥協点を見つけるための上限、もしくは下限にはなりえない。

 具体的な出来事を書き連ねるのも少し違う気がしている。そろそろ前みたいに時間をとって何かを書く時期だと思う。書けるときに書かないと、忘れてしまう。保存状態が悪いと、外部にも悪影響を及ぼすのだ。それは避けたい。