反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2014-07-12

 お久しぶりです。

 いつの間にか、心に余裕のない人になっていたようです。形として実在しない部位の、イメージとしての空間である現実離れした「それ」によって、現実が追い詰められているというのは、苦しいです。自分のことを棚に上げて、周りを見ては残念がって、僕は悪くない環境が良くないって言って、自分で変えようとしなかったんですね。それは、非常によくない。こんなこと言うだけ言ってもしかたないですけど。

 余裕がなさすぎて、五月半ばから日記が止まっていました。昨年の冬に購入した、五年連用日記。今、必死に遡っています。整理ができていなかったから、精神的にも整いを失ってきていたのかもしれません。声をかけられて始めたマジックバーも、お休みすることにしました。僕の中で、みんなは何が不思議に見えて、何を望んでいて、どうあればいいのか分からなくなりました。ちょっとした恐怖症が出てきたのかもしれません。学内で起きた盗難事件も、隠蔽されてしまいそうです。実害にあっていない僕は、大きく出られなくて、ただ眺めていることしかできません。

 全体として、もう駄目だと諦めを感じてしまいそうになっているのだと思います。「諦める」とはマイナスのイメージが伴いますが、それは、ある方法を諦めるのであって、生きることにはまだ執着していきます。別のアプローチを考えるのだ。

 夏、休暇がとれたら、アウトプットの機会を増やしたいと思っています。