反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2019-02-13

 朝、いつもの道を歩きながら、ふと、何年か前に受験したときはこの道を歩いていたんだな、そのときは周りがよく見えていなかったのか、慣れていなかったのか、今とは全然見え方が違ったなと思っていました。

 駅の方まで歩いていると、いつもより明らかに多い人の流れがあるのを感じました。
 よくみると、保護者と学生が多い。
 近づいてようやく気がつきました。今日は入試なんだと。

 かばんにお守りをつけている高校生や、ビラを配ったり会場案内をしているスタッフ(おそらくその大学の生徒だと思います)がいて、やや懐かしいなと。
 あやうくパンフレットを受け取りそうになってしまったのは何とも言えない気持ちになりましたが。

 自分は精神的に成長しているのか、ときどき不安になります。
 見た目的な部分で言えば、むしろ4、5年前と比べて若返っているような気さえしています(気持ちだけかもしれませんが)。
 老けたかどうかは置いておいて、年が下の人、いわゆる「若い」人を見ても、馬鹿みたいに「若い~」と言うのだけはしないようにしています(馬鹿みたいに、というか、そういう言い方をすることが馬鹿みたいだと感じていると言いたいということです)。私たちもまだ十分若いと思うのです。

 大人になったら何をしようと思わなくなってしまったら、また、こどもの頃は楽しかったな、つらかったな、などと考えるようになったら、大人になってしまっているということなのかもしれません。どういう在り方でいることがよいことなのかはわかりませんが、どうありたいかを考えて、それに準ずるような行動や思考ができればと思っています。

 かじかんでいて文字を打つ手がぎこちないです。