反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2019-02-23

 3月が近い!
 ちなみに、3月は旅に出る予定なのでTwitterができるか、ネットに繋げるかは今の所ちょっとわかりません。


・一番つらかった経験

 これ、実際に一番かどうかは置いておいて、印象に残っているつらかったことを言えばいいと思います。詳しくは後述します。

 以前お答えした中にあった「『正しさ』に執着しすぎる」という話も多少関係があるのですが、小学生のときの話ですかね。
 小学生から町の運動部に所属していたんですけど、端的に言うと、そこで指導者と揉めてしまって。
 指導者としてコーチと監督が1人ずついたんですけど、それぞれの言うことが噛み合っていなかったり、1人でも矛盾した指導、理にかなっていない指導をすることがあって、それを小学生ながら(というか、幼かったからこそできたのかもしれませんが)指摘したんですよね。そこでまあいろいろあって、単純に私の実力的にもやや足りない部分もありましたし、生意気だったんでしょう、蹴る殴る振り回されるのボコボコにされまして。
 ちょっとそこで思ったんですよね。正しさって一体なんだと。殴って制圧してそれでおしまいかと。まーあそのときの僕のブチ切れ方というのは尋常じゃなくて、いま考えてもまあそうなっちゃうかなという気はしています。自分の生きる中での軸がわからなくなったというか。自暴自棄みたいな。
 そういうこともあって、正しいことを、正しいと思っていることを言っても聞いてもらうことさえできないというのは大変つらいことなんだなというのはそのときに感じましたね。ただ、自分自身かなり根に持つタイプなので、小学校を卒業するときの部のお別れ会的なものでひとこと言う場面でもその話を掘り返して、あのときはこう思っていてこうしてほしかった、こうあるべきなんじゃないかって言いましたけど。やっぱり言わなきゃ駄目なんですよ。伝わってないのはないのと同じなので。
 まあこの経験は今の自分にかなり影響を与えているというか、今の自分の形成にあたって大きな部分を占めているかと思いますね。詳細は省きますが。


 一番かどうかは置いておく、というのは、それが一番であるかはさほど重要でないということです。その経験において何を感じたのか、どう行動したのか、それが後にどう関わっているのか、今の自分との関係を述べるのに良いエピソードがあればそれを話すということであって、エピソード「を」語るのはあまり良くない気がします。エピソード「で」語っていけ。
 結局のところ、どんな人であるか知りたいというのが大きいと思うので、それを示せればと思います。