反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2019-04-05

 ふと2012年に書いた記事のことを思い出しました。特にこのあたり。

A Santa lived as a devil at NASA.:回文。
レトリック・オア・トリート:修辞の扱い、ハロウィンにて。
long, wrong ago:昔々誤るところに。
みにくいアヒルのコタリピテ:やがて白鳥になる。
色取り取りな彩り緑:手取り足取り選り取り見取り。
見えざる手返し二十五階段:ひとえひとえに片心。
Shine beams, eats, rings and leaves.:輪で繰り返し意味を束ねよう。
木天蓼ネコと薇ワラビー:またたび猫は、二度、旅に出る。


 これら、実は先にノートに原稿があったんですよね。ノートに文章を書いてから、そこからブログ投稿した感じ。
 これだけだったらまだ「まあそうかな」って感じなんですけど、これ、さらに原案というか思考マップみたいなものがあって……。部屋の整理をしていたら出てきたので写真を撮りました。ノート原稿とともに載せておきます(『みにくいアヒルのコタリピテ』)。上で挙げた記事の大半はこの過程を経てます。こんなことやってたんだという感じ。


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↑原稿

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↑原案(?)

 ちょっと画像サイズが大きすぎた感はあります(調節の仕方がわからなかったので、カメラで撮ったまま載せました)。字がやや雑なのは、人に見られることを想定していなかったからです。ちゃんと(?)保管していた自分に驚きです。

 こういうたぐいのことをやって、ああいう記事を書いていたのがまだ未成年だったということに驚きつつも、ある種の気持ち悪さがあります。
 僕は果たしてあの頃から成長したのだろうか。成長しているのだろうか。