反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2019-02-13

 朝、いつもの道を歩きながら、ふと、何年か前に受験したときはこの道を歩いていたんだな、そのときは周りがよく見えていなかったのか、慣れていなかったのか、今とは全然見え方が違ったなと思っていました。

 駅の方まで歩いていると、いつもより明らかに多い人の流れがあるのを感じました。
 よくみると、保護者と学生が多い。
 近づいてようやく気がつきました。今日は入試なんだと。

 かばんにお守りをつけている高校生や、ビラを配ったり会場案内をしているスタッフ(おそらくその大学の生徒だと思います)がいて、やや懐かしいなと。
 あやうくパンフレットを受け取りそうになってしまったのは何とも言えない気持ちになりましたが。

 自分は精神的に成長しているのか、ときどき不安になります。
 見た目的な部分で言えば、むしろ4、5年前と比べて若返っているような気さえしています(気持ちだけかもしれませんが)。
 老けたかどうかは置いておいて、年が下の人、いわゆる「若い」人を見ても、馬鹿みたいに「若い~」と言うのだけはしないようにしています(馬鹿みたいに、というか、そういう言い方をすることが馬鹿みたいだと感じていると言いたいということです)。私たちもまだ十分若いと思うのです。

 大人になったら何をしようと思わなくなってしまったら、また、こどもの頃は楽しかったな、つらかったな、などと考えるようになったら、大人になってしまっているということなのかもしれません。どういう在り方でいることがよいことなのかはわかりませんが、どうありたいかを考えて、それに準ずるような行動や思考ができればと思っています。

 かじかんでいて文字を打つ手がぎこちないです。

2019-01-30

 先月と今月とを合わせて、ものすごく出費を抑えています。おそらく、1ヶ月で1万円くらいかもしれません。そのうち断れない飲み会が5000円ほど。
 じゃあどうやって生活しているんだと思うかもしれません。
 家賃、光熱費通信費などは、今回「出費」に含めていません。私の財布の中の移動のみで考えていて、これらの固定費は口座から自動で落とされているので。
 食事は、基本的に自炊もしくは断食です。
 断食って。

 近所のスーパーマーケットで鶏肉と野菜を買って、600gほどでだいたい600円くらい。これで3食分作り、それを1日1回もしくは2回食べます。3日で1200円と考えると1ヶ月12000円。計算が違うだろと思われるかもしれませんが、そこは食べない日があるのです。また、仕送りのお米を駆使します。白米とちょっとした食べ物を送っていただいているので、それを含めるとだいたい1ヶ月1万円ほどに抑えられるという算段です。あとはご馳走してもらったりとか。

 他の費用?
 使いません。基本的に交通費を抑えるために徒歩で移動しますし、間食は全くなし、遊びもなし。

 こう考えるとかなり追い込まれているんだなと思いました。
 実際きつい。生活するのに精一杯で、他のことに手が付きません。マズローの最下層でのたうちまわっています。

 ときどき、すごく優しい方が食事をお誘いしてくれたりするのですが、交通費ですら渋っている私なので、徒歩圏内でないと土下座しながらお断りしています。本当に申し訳ないし情けない。余裕があったら普通に食事に行きたいんですけどね……。

 痩せたくないのに痩せてしまっている気がします。以前頑張って育てたこの体も生命エネルギー消費で削られていっています。
 このままだと消えてなくなるのではなかろうか。

2019-01-26

 馬鹿というより愚かだと思っていたんですけど、普通に馬鹿だったのかもしれない。
 わからないから馬鹿なのか。

 誕生日が来ました。まあこれといって特別なこともないのですが。
 去年もその前も、特にかわりばえのない日常でした。

 そういえば、Twitterのフォロワーさんにプレゼントもらった気がします。まあ、そのあとブロック&ブロック解除されてしまって疎遠になったんですけどね。会ったり何らかのコンタクトをとったことがある人にブロックされたことが2回ほどあって、若干気落ちはしたのですが、もしかしたらそもそもブロックに対する認識が違ったのかもしれません。そんなに重いものじゃないというか。もっと気軽でいいんですよね。
 気軽に生きて気軽に死のう。

 何が悪かったのか、いまいちわからなくて、わからないから駄目なんだろうと思います。スタートが遅くて、いつもギリギリでなんとかやってたんですけど、もちろんうまくいかないこともあったしだからこその今があると思ってはいて、それでまた今回も厳しい現実に直面してしまったのかもしれないです。
 どうするんだろう。

 うぇーう。
 誕生日なので祝われたいという気持ちは持ってもいいんじゃないですかね、年1回なんだし。と思います。


 金も時間もない、未来がない。
 大人しくなったほうがいいと思いました。分相応に、わきまえて生きようと思います。
 賢くなりたかったなあ。

 過去形にするなよ。

2019-01-21

 あけましておめでとうございます。身体がバキバキに固まってます。

 明けたら何がめでたいのかはさておき、明ける前に祝うのは違うと思っていて、つまり何が言いたいかというと、朝になる前、日付が変わった直後に「あけましておめでとう」と言ってしまうのは、何か違うのではないかと思ってしまうということです。

 今年は「優先度で分ける。」を掲げることにしました。選ぶ/捨てるの極端な選択が難しいものは、傾斜をつけるということです。グレーなものにファジーな捉え方であることに、もっと穏やかな気持ちでいられるようにしたいものです。


「あとでブログにします」と言って放置していたものがたまっているみたいなので少しだけ箇条書きしてみます。

・見に覚えのない引き落としについて(トラブルシューター)、続きを書く
・LINEでの詐欺(不正なサイト誘導)を通報したら謝礼をいただいた話
功利主義に寄ったエピソード(? 質問箱から)
・その他、普段のつぶやきを掘り下げててきとうに考えたことを書く

 しばしば遡り投稿*1をしてしまうのですが、予約投稿をするのも健康的なのかもしれません。考えたことが多くなってしまったときは、小分けにしておいたほうが読みやすくなりますし、単純に、一度に大量に読むよりも複数回に分けて適量を読むほうが負担も少ないですし、よりアクセスもしていただけるのではとも思いました。
 まあしばらくいろいろと忙しそうなので、これをどの程度の優先度でやるのかは現時点では何とも言えないところです。

*1:投稿日時を過去の日付にして、当時のことを思い出しつつ書いて投稿すること

2018-11-03

 あまり身体の状態が良くないのかもしれない。

 20時間以上寝てしまいました。昨日はおそらく日付が変わる前には寝たはずなんですけど、朝から体調が芳しくなく、起きる気力もなく、あった予定はお休みしてしまいました。
 なんだろう、単なる体調不良という感じではない気がします。上流には身体的不良以外の要因がある気がする。このところいろいろ考えることがあって少し気分がブルーになってしまっていたのもあると思います。というかそれが原因な気がするなあ。
 そう思うとメンタル弱すぎでは。
 自己分析するものちょっとあれですけど、メンタルに関してもその他の調子に関しても、不調時とそうでないときがかなりはっきりしている気がするんですよね。特に「メンタル」と言われる部分に関しては、全く動じないターンがあれば、些細なことでぶれっぶれになることもあって、つまり、そのときどきによって同じ刺激でも違う応答をしてしまっているということなんだろうと思います。それってかなり危ない気がする。割と安定してメンタル安定であることが多いとは思うんですけどね……。
「ないメンタルは壊れない」状態のときは、本当に無敵だなーという全能感のようなものがあって、何をしていても何をされても不屈の精神があるっぽいんですけど(厳密にはそんな精神は「無い」)、駄目なときはとことんだめですね。多分今日はそう。だからずっと寝てしまっているんだと思います。
 こうなったら仕方ないので、収まるまで休むしかないです。数年前まで、これは季節性うつなんじゃないかと思っていたんですけど(おそらくそうだった)、ここ2,3年はずっと健全な精神で、うまくやれてるなあと思ってました。というかうまくやれてると思います。長引かないし。

 どうでもいいことなんですけど、僕がいろいろ考えることはよくあることであって、それを考慮してか知らないけれど、そしてそういう考えごとが面倒なのかもしれないけれど、だからといって僕のそういう部分を見て精神的に脆いんじゃないかと評するのは浅はかではないかと思うんですよね。なんというか、君は君自身が「そういう考えごとをするときはいつもメンタルが死んでいるときである」と公表してしまっているようなものなんじゃないかと。落ち込んでいたって落ち込んでいなくたっていろいろ考えるし、面倒なことに関わろうというエネルギーはあるし、無駄だと思うようなことも細かく捉えようとするし、そういう個人的な差異を、ゆがんだものさしで、ひずんだレンズで見るのは本当にやめてほしい。そういう意味では、そういう評価をする人よりは何倍もメンタルが強いとは思うんですけどね。
 気にしなさすぎなんだよ。だから気にしなければいけない局面で狼狽えて何もできなくて死んでいくわけ。そういうのを見ると悲しくなるよね、あわれというか。でもまあ、見捨てることはできずに助けてしまうんだよな。僕は甘いので。
 もっと厳しくなってもいいとは思う。そうしてもいいだけの視線を日頃受けているとは思うし。

2018-10-28

 親族の結婚式のため、地元福岡県に帰っていました。時間的に余裕がなくて精神的にもゆとりはありませんでしたが、家族に航空券をとってもらい、なんとか帰れました。意外とこの時期も航空券は高いんですね……。

 結婚式(披露宴)では、お祝いのためというかなんというか、マジックをしてきました。
 持ち時間は5分間とかなり限られていたため、走ってしまった感が否めませんでしたが、まあ盛り上がったと思います。数年前にワイヤレスマイクを買っていたのがここでも活きてよかった。それにしても5分間って。つい先日も5分間の大事なプレゼンテーションをしてきたばかりだというのに(だからこそ体感で5分間は身についていたと思う)。

 知り合いもどんどん結婚してきています。自分にとって、そういう日が来るのかどうかはちょっとなんとも言えないのですが、考えなければいけない話題ではあるとは思っています。本当は、自分から「結婚したい!」と思えたほうが良いと思うんですけど、今はまだちょっとコメントできないですね。

 いろいろ思い出してしまうなあ。

 一瞬、「この人とお付き合いをするということは結婚を前提にしなくちゃいけないんだろうな」と考えなければならない時期があったのですが、やはり自分のその時の状況を考えるとかなり無理があって、というか経験値がなさすぎるというのもあって、不安しかなかったんですよね。結局まあそれはそれで終わった話なのですが、タイミングがあまり良くなかったんだろうなと思います。相手の方はおそらく良い人だろうと思ったのだけれど、もう少し別の出会い方をしていればなあと思ったり思わなかったり。
 こういう話題はめずらしいと自分でも思うし、普段あまり人から聞かれないことなので話すのに慣れていません。みんな、他の人には結構聞いているはずなのになんででしょうね。そういう話題はするなオーラでも出てるんですかね。あとは間に合ってますオーラとか。うーん。

 ばたばたしてたんですけど、これでひとまずいろいろと落ち着いたので、リフレッシュしてまたやっていきたいと思います。
 その日のうちに東京に戻る予定です。

2018-10-24

 電車内でスマートフォンタブレット端末を使用しない人を見かけないことがない世の中になりました。
 それはまあ良いことではあるとは思うのですが、リテラシーを身につけてないと非常に危ういなと思うことも非常に多くあります。

 見ようと思っていなくても見えてしまうことってあるじゃないですか。変な意味ではなく。

 電車で隣りに座っている人が、仕事のメールをチェックしていました。50歳くらいの男性。
 内容はおそらくそこそこ重要そう。職業も、今どんなプロジェクトが動いているのかも、誰とやりとりをしているのかも分かってしまいました。そこまで分かったらチラ見の範疇をこえていると思うかもしれないですが、前かがみでタブレット端末を広げていたらそりゃもう見てくれと言わんばかりの面積を占めるわけですよ、僕の視野を。

 僕も昔こういうミス(?)をしたことがあって、Twitterを見ていたら近くにいた知り合いに見られてアカウントがバレてしまいました。まあ隠しているわけではないので別に問題はなかったのですが、不本意ではあります。
 この程度なら良いんですけど、機密情報が漏れたとしたらこわいですよね。そもそも外出中にそういうものを触るのはやめたほうがいい。

 そういう意味では、パソコンでのみブログを更新するというのは、変に外部から知られてしまうのを防いでいたのかもしれないです。外で空いた時間にスマートフォンで更新しようとすると、やはり周りの目がありますし。ま、これも広まっていいんですけどね、別に。

 イメージはほとんど裏切らないもので、あやしいなあと思っていた人のSNSのアカウントをたまたま見つけてしまったとき、そんなにその内容で驚きはしないんですよね。やっぱりそうだったか、みたいな感じで。意外と見た目に出ているものなんだなと思います。
「転生」なんかもそうです。おそらく、アカウント名を変えたりアイコンを変えたりしても、分かる人にはそれが分かってしまうんだろうなと思います。良いのか悪いのか。そもそも自分にとってアカウントを消したり新たに作ったりという行為は変に自我が分断される気がして嫌なので、やらないようにしていますが。あと単純にあれです、自分はそれをされて少し悲しいなと思ったので、だからしないです。別にだから他の人にするなと言っているわけではなくて、単に自分が気持ち悪くなるので。

2018-10-16

 ひと波越えた感じがあったので、同期と打ち上げ(そしてこれからだの会)をしてきました。
 配属的にややかっちりとした形態で、自由に自分で何かをしたいという人にはきついだろうというところで、仲良くやってます。

 みんなそれぞれに思い、まあ誇りのようなものがあるのはなんとなく感じてはいたのだけれど、純粋な「その人の状況、置かれている/育ってきた環境」についてはあまり知らなかったなと思いました。
 特に家庭環境。両親や兄弟姉妹のことをあまり把握しておらず、自分の感覚で話していると地雷を踏みかねないなと思ったし、そもそも地雷と呼ぶには意外とよくあることなのだろうとも思った。案外、すべて円満なところのほうが少ないのかもしれないなと。

 誰かを羨ましく思ったり、誰かになりたいと思ったりするとき、その人の「どこになりたいのか」「何に惹かれているのか」をしっかりと認識しておく必要があると思うんですよね。その人の奥にある苦悩や過去の重圧に耐えられるかは分かりませんが、少なくともそういうものを無視できるものとして会話すると、認識の齟齬が激しくてお互いつらいと思います。


 お酒を飲みながら何を考えてるんだろうってたまに思います。