反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

強さ、速さ、示唆


 優しさの半分は優しさです。



 自分は野球のようなスポーツを実際の運動でもゲームでもあまりしたことがないというか、する機会がないのですが、スポーツ全般においては、「強さ」と「速さ」、言うなれば「パワー」と「スピード」が、上の意味とは違う総合的意味での「強さ」なんじゃないかなーと思っています。
 まあ、ゲームでは「守り」も数値化してるし確かに大事だと思うし、「走攻守」とか言うくらいだし、その他ゲームでも攻守と素早さは必ずと言っていいほど設定されている値ですが、守りはパワーやスピードと並べてみると、根源的要素じゃないように思えてくるのです。「攻撃は最大の防御」とも言いますし……何より、守っているだけでは進みませんから。
 勉強においては、パワーは「知識や問題を解く力」にあたるのでしょうか。スピードは、そのままの意味で、解く速さを表すのでしょうか。じゃあ守備は……? 確かセンター試験は「守りの試験」だと言われているらしいです。特に国語。選択肢に対して攻めるのではなく、守る、と。何にせよどちらにせよ、強い方が勝ちます、であるし、勝った方が強いです、とも言えます。
 それが何をそれとなく仄めかしているのかは分かりませんが。

 強さは、時には優しさなんですよ。むしろ、優しさが強さなんですけど。
 それが何をそれとなく仄めかしているのかは分かりませんが。

 そういえば、優しさが半分とかなんとかいうのものがありましたよね。優しさ半分じゃないですよ! 決して、おもしろ半分冗談半分的な意味ではないですよ! 優しさとは、一体何なのでしょうね。そんなよく分からないようなものが半分を占めているというのも、何だか怖いという気がしてきませんか?