反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

駄菓子、菓子バット


 万が一、50歩譲って……。
 いや、100歩譲ってそうだとして……。
「そんなの、五十歩百歩だ!」



 というわけでこんにちは。
 今回は「だけど」の話です。「だけど」っていう言葉は、前言の否定を意味してますですよ。「譲歩の『だけど』」で無になっちゃう。たとえいくら前に何と言おうとも。
「君の言ってることは正しいよ、でも……」「その気持ちは分かる。しかし……」「こんなこと言いたくない、だけどね……」
 このような会話、みなさんはしていませんか? 「だけど」と言われると否定されたと感じてしまうから、次に良いことを言ったとしてもきちんと聞いてもらえないということが往々にしてあります。先日読んだ本によりますと、それを避けるためには「だのに」が大事らしいです。譲歩じゃなく、等位的らしいです。
 まあしかし、「だのに」なんて普通使わないし使いにくいよねー。

 ほら。こうしてすぐに「しかし」なんて言ってしまう。
 自分はただ、だのに的日本語が消えつつあるのが心配なのでした。

 ディスコースマーカーがああだこうだと言っている人は、もちろん日常でのディスコースの効果をつくづく感じているということなんですよね。そういう点で、言語系の先生は凄いと思えるようなところがあるのです。一生徒がどうこう言える次元じゃない。「なのに」、しかしと言ってしまうっていうのは。
 もう、暖かく見守るだけなのです。

 チョコバットという棒状菓子の当たりを、それ自体はそんなに好きじゃなくても探していたことがあったのは、「当たり」が嬉しかったからなんだろうな。