反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

目と目で合図


 me to me な、出逢いは きっと、eye to eye な、コンタクト。



 今までを見返して思ったこと!
 自分はなんやかんや今日までいろいろと書いてきたのですが、自分の文体が、簡単に言えば、疑問符ありき なんだな、と。インタラクティブというか、「見せる(聞かせる)呟き」っていう形容矛盾的文章とは少し違うけれど。
 まあ、そんなこんなで維持すべき日常はあるけれど、当初から聞こえてきたはずの「日常性の維持」という言葉は、誰々にとっての在り方はそれぞれだけれど、半年や1年で形作る日常より十数年で培った日常がより強固で強力なのではないかなんて。そんなふうに言ってみたりして、自分は自分なりに(という遁辞で)頑張れるなら良いかと思いました。I to I な対話をずっと。

 それはそうと話は変わりまして、コンタクトレンズって、怖くありませんか? 私は、眼鏡を持っているにもかかわらず、あまり使用することがないのですが、最近更に視力が落ちてきまして……。にしてもコンタクトレンズを着用するというのは怖い! 知らないから、分からないから怖いのだけれど。目に何かを入れるって怖くないんですか!? 怖くないんですか!? 痛くないんですか!? コンタクトレンズでこの調子じゃ、視力回復の手術をするなんて絶対無理ですよね……。そういえば、夜、就寝中にコンタクトレンズをして朝に外すというタイプの矯正的なものもあるみたいですね!
 何にしても視力低下は悪い傾向です……。見えるものも、見なければいけないものも、見えなくなってしまいます。

「おまいら空気読め」な文化に生まれて、読めないながらも慣れてきて、なんとなく目と目で合図出来るくらいに以心伝心に読み合える人が1人でもいたら、なんて夢見がちな気分になった今日このごろでした。言葉なんてなくても、心でコンタクトがとれるって、素敵だと思います。まあ、言葉がせっかくあるのだから、その便利な道具を活用していくことがコンセンサスを得る近道だとは思いますが。
 目は口ほどにものを言うかもしれませんが、色々な役割を与えすぎて、オーバーワークさせて盲目になってしまっては、元も子もないですからね。