反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

一定以下な真実


 いってもいいですか、とか。



 駄目ですと言ったら、きっと悲しい顔をするのが分かってしまうから、いいよと言ってしまいます。分かってくれますかと聞かれれば、分かってほしいと思っていると考えてしまって、分かってるよと言ってしまいます。それはそれで、残酷なことなのかもしれません。
 言っていいか悪いかなんて聞かれても、何と言っていいか悪いかが分からないのです。

 真実はいつも1つ、という言葉を聞いたことがある人は多いと思いますが、むしろ、いつも1つなのは事実の方ではないでしょうか。真実とは、それぞれが付与した一定の方向性によって存在しうる一人一人のものなのであって、「正しい」とか「間違いだ」とか、そんなものなんてもともとなくて。ただ、事実だけがそこにあるだけなのです。それがどんな意味であっても。
 結局、真実は、唯一の事実にそれぞれの意味付けを行った結果でしかないのかもしれません。
 でも、相手の真実を分かろうとすることはできます。
 そしてそれを「思いやり」と呼ぶのかもしれません。

 自分の話し方の「それらしさ」なんて分からないけれど、話題的に話法的に、ある種の修辞法として、絵文字とか顔文字とかを使用するというのは、らしくないよなーなんて言われたり、自分で思ったりもします。それらで表現しなくとも文字が語ってくれるから問題ない、というのが自分のスタンスです。飾りもするから扱いには困るけれど。なんていうか使い分けですよ、使い分け。対象や目的をきちんと把握して適切な使い方をしないと。なんて言っていますけど、これがここで適切かどうかは甚だ疑問なのですが。というか多分不適切ですね、はい。
 いや、でも、基本的に一定以下な空気、というか一定以下なテンションというか、要するに、低め保った雰囲気で話を続けていくやりかたで、使い分けできてるのではないかと思っています。
 
 話は戻って「真実はいつも1つ」の話に関連する話ですけど。いや関係ない気もしてきましたが。
 えーっと、「大事なものはいつも3つ」ですよね。ですよね?
 そうですね、例えば、文章なら、序論・本論・結論とか! ほら3つあった! あって良かった……。話すときに重要なのは、自分と相手と言葉だったり、『週刊少年ジャンプ』なら、勝利・友情・努力、だったような。バレーボールは、レシーブ・トス・スパイク♪ なんていう歌がありましたっけ? ところで、スパイクとアタックってどう違うんですか先生! そもそもそれならサーブは大事じゃないのかよ! なんて言ってみたり。
 この世は、金と知恵と見た目、略してKTMですよね! これ、実際問題として強ち間違ってはいないと思うのです。世の中こわいですね。

 そして。
 生まれることと死ぬこと。あと1つ、間に大事なものが見つけられたらいいなと思う今日この頃でした。