反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

A Santa lived as a devil at NASA.


 それは悪魔の囁き。



 クリスマスというのは特別な日であるらしく、その前日も例外ではなかったようだ。「クリスマスイブ」が前日の夜のみを指すことはある程度知られている事実だが、前日全体を指してしまいたくなるほどには、12月24日という日は魔力がある。
 魔力って何だよ。
 思わず呟いてしまう。僕はあまり「特別な日」が好きではない。クリスマスにしろ正月にしろ、その、何かイベントがある日のせいで、他の日が蔑ろにされているのではないかと、不安になるのだ。かといって自身が毎日を大事にしていると声を大にして言えるわけでもなく、結局は、他の人たちが楽しんでいるのが羨ましいだけなのかもしれない。
 怠い体を起こしながら、いつもと同じように駅へと向かう。厳密に言えば、祝日だったので少し起きるのは遅めで、いつもより後の電車に乗ることになった。都会とは違うから、数分おきに電車が来るわけではない。家を出る前に「じゃあ今日は何時何分の電車に乗ろう」ときちんと計画しているのだ。まあ、これもいつものこと。
 座席は、クロスシートではなくロングシートだった。端に座りたかったけれど、空いていない。クリスマス前日だし多いのかな、座れるだけましか、なんて考えながら、ゆっくりと腰を下ろす。
 しまった。向かいに座っているの、あれはカップルじゃないか。電車内ではちょっとは控えてね、頼むから。まあ年頃の男女だし仕方ないことなのかなと、若干諦めつつ、到着駅まで寝てようかなと考えていた、のだけれど。
 隣の人が寝始めて、ちょっとこちらに頭が寄ってきている。上から目線のような表現になって非常に申し訳ないけれど、比較的綺麗な方だったような気がするので、なおさら焦る。
 これはまずい。何とかしないと。「船をこぐ」とはこういうことを言うのかな、なんて思いながら、その船乗りの不在に戸惑う。揺れは大きくなる。これは、いつものことじゃない。
 予想外のことではあったけれど、こういうことはよくあることではある。他人事だけれど。電車に乗っていて眠くなるのは、一定のリズムが刻まれるからだ。冬は線路が縮むから、その隙間のせいでガタゴト言っているのだろうか。なんにせよ、今は、この状況を何とかすべきだ。
 楽しい時間は早く過ぎるが、辛い時間は長く続くように感じる。正直に言って、よく分からないが普段とは違う時間の流れが、僕にはあった。別に魔力がどうとかってわけじゃない。ただ単に、こういうことが不慣れで苦手なだけだった。苦手だったけれど、案外、こういう機会がいつか来るのではないかと思ってはいた。
 携帯電話を取り出す。
 ゆっくりとメモ帳に文字を打っていく。
 一度はやってみたかったと思っていたことではあったけれど、遊び心からではないし、素直に普通になされることだと思いながら、文字を確定させていく。ちょっと漫画の読み過ぎか。実際は漫画はほとんど読んだことないけれど。
「よかったら、肩、貸しますよ」
 寝てる船乗りの肩をたたきつつ、その画面を見せる。たった数文字、絵文字なんかもあったけれど、その文字列には何らかの魔力が……あるわけないか。
 偏見だけれど、日本人はこういうことを自分から積極的にしそうにないと思う。アメリカとかはありそう。完全にイメージだ。今まで一度も海外に行ったことがないのに何言ってるんだろう。
 起きたセーラーに二度見された。少し笑ったような気がした。
 そしてまた目を閉じる。
 ある種の了解が互いにあることほど、安心できることはない。あの人はどうしてるんだろう。クリスマス、誘っても大丈夫なのかな。とか。分からないと不安だ。まあ、その不安がスパイスになるのかもしれないけれど。
 向かいのカップルは相変わらず楽しそうだ。目があったような気がしたけど、気にしない。
 もうすぐ目的の駅に着く。
 貸したものは、返される。それは肩であっても、だ。
 一駅前で、隣の人はぱっと起きて、降りていった。
「ありがとうございました」
 終始冷静でいるはずだったのになあ。その囁きさえなければ。
 ものすごく動揺して、固まってしまった。
 魔力って何だよ。
 思わずそう呟きながら、もしかしたら明日も同じ時間の電車なのかなと思ってしまう。
 外は冬らしかったけれど、不思議とその風は心地よかった。