反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2015-01-27

 長い間おやすみしすぎた。

 

 8月の帰省の後、しばらくして下旬、髪を染めました。厳密には、脱色。今まで黒髪を突き通してきた(というかそのままにしてきた)自分にとっては、色を変えるということは多分大きなことだったと思います。灰になればいいのにという思いとは裏腹に、なかなかすぐには色が入りません。金髪を経て、数回のブリーチでやっとグレーに近くなってきました。しかしそれも何回か髪を洗えば落ちて金になってくるのです。見かける度に髪色の違う人がいて、なんなんだと思っていたのだけれど、その人の気持ちが少しだけ分かりました。管理、大変なのです。

 五年連用日記は空白が多くなってしまいました。どうしたものか。休み*1にゆっくりと埋めていこうかなとも思っています。来年度から色々な変更があって、長期休暇がかなり増えそうです。有効利用しないと腐ってしまう。

 継続って難しいなと、今更ながら。

 いつのまにか新年が明けていました。去年の目標の一つに「『チャラく』なる」というふざけたものがあったのですが、達成されたのかどうかはよく分かりません。積極的になろうとしたつもりです。今年の目標は「捨てる勇気」にしました。昨年の黒髪を「捨てる」行為もその一つだと思うし、選ぶための手段として、捨てることを大事に(それは抱え込むという意味ではなく!)していきたいです。

 削っていくその行為は、磨くことと同義であると思いたいのだ。

*1:ただいま絶賛春休み中なのです