反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2015-03-04

 引っ越しも終わって部屋の片付けも進んで、新しい季節が来るのを待つ三月。ついに厳密な意味で「東京」に住むことになったわけですが、だからと言って特に何も変わりありません。今のところは。

 たまに、幼かった頃を思い出してもやもやした感情が現れます。あのときの自分の選択は正しかったのかとか、そのときの両親の想いは、周囲の人たちの反応はどうだったのかとか。間違いの延長に自分がいるとは思いたくなくて、正当化してしまいがちだけれど、きっとあのとき自分は確実に「失敗」していて、その延長線上に今いると思わざるを得ないこともあります。それをうまく受け入れて、昇華させていけるかが大事なのであって、いつまでも過去の人でいてはいけないなと思います。

 

 今も自分の身の回りには様々な問題でいっぱいです。解りあえないと嘆きたくなって精神的に押し潰されそうになる人も、そこには確かにいます。いくら自分の発する言葉に気をつけても、伝わってほしいように伝わらないことだってあります。言葉を失いかけた僕にできることはなんだろうかと、必至で模索しています。

 たまには救いがほしい。