反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2017-01-13

 ひと月経つのもはやいものです。
 今回、初めて年末年始に帰省しませんでした。価格のこともあります(年明けて少ししてからのほうが圧倒的に安いのです:14000円を切りました)し、直近で試験が控えているということもあります。生物系の知識が足りないみたいです。

 昔仲良くしていた異性が国際結婚をすることになったらしいと聞いて、ちょっとだけ過去をさっと振り返ってみています。自分に対していろいろなことをいろいろな人が言ってくれました。助言だったり世辞だったり。そこに「永遠」とか「ずっと」とかいう単語があったこともあるのだけれど、まあそれは今となれば「言えただけ」ということなのかもしれません。少なくともそのときには、そう思っていたというか、そういう決意があったのだと思いたいです。親や教師などの指導者や、周りにいた仲間(「仲間」と呼べるかはわからない!)があってこその今の自分が存在していると思うと、「育てられている」という感じがします。同時に、そういうものがなければ、私は、ヒトは、人間になれるのだろうかと考えてみたりもして。
 実際に出会ったひともそうですが、インターネットなどから知り合ったひとたちは今どうしてるのだろうと考えることもあります。ちゃんと(「ちゃんと」?)生きているのだろうか、Twitterやブログで関わりを持って関心を持ってくれたひとは今の私にもまた同じように関心を持ってくれるのだろうか、なんて他人のことばかり気にしています。

 ここ数年、年始めに「目標」らしきもの(年契約の座右の銘に近い)を立てているのですが、今年も例によって立てることにしました。
「自分のために生きる。」
 それがどういう文脈で使われてどういう解釈をされるのかはわからないですけど、とりあえずこれを念頭に置いて行動をしてみることを増やしたほうがよいのではと感じました。
 本年もよろしくお願いいたします。