反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2018-10-05

 絵に描いたような三日坊主です。あれ、絵に描いているなら現実ではないのでは。

 朝のコンディションはなかなか安定しないみたいです。体調が変われば起床時刻もぶれますし、身支度にかかる時間も変わります。当日の予定だってそう。だから朝のルーティンは、内容は固定すれども時間に縛られるのはスマートではないですよね。
 
 そもそもその内容が達成されていませんでした。

 今回はスマートフォンから投稿しています。今までは携帯端末だとメール送信によっての投稿しかなかったので使い勝手が良くなかったのですが、これならかなり使いやすく、ハードルが下がりました。

 実はこのスマートフォン、厳密にはスマート「フォン」ではないんですよね。見た目だけスマートフォンSIMカードなしの本体のみなんです。電話はガラケーを使っています。ガラパゴス化してしまいました。今はなきdocomoのDシリーズなので、完全に生きた化石です。もう10年ほど使っているのではなかろうか。
 そんなこんなで実際はタブレット的な扱いなのですが、説明して話をややこしくするのも面倒なので、スマートフォンですと言ってます。端末自体はスマートフォン用の(?)物なので間違いではない。
 話者と聴衆との間で定義が違っていて、それをお互いが気づかずに核心に触れる段まで来てしまうということは非常にセクシーな状況なのですが*1、ありがちなことなんですよね。まあ、話し合うということの本質は、そういった定義について確認し合うということにあると思っているので、当然の帰結だから何も心配するなと言われればそれはそうなんですけど、定義を見直すという作業は、年を取れば取るほどつらく苦しくなってくると思います。今まで培ってきた土台を壊されるのは怖いですからね。自身の土台を盲信しすぎであるという説もあります(「説がある」という表現、かなり内輪な使い方だと思います。私もそれに流されてしまった説があります)。

 ぐだぐだ言っていたらそろそろ時間がまずそうです。と思ってしまって、ああ時間の束縛からは逃れなれないなと、少し諦めが混じったような笑みがこぼれてしまう朝でした。

*1:「やばい」ときにこの言い方をすると何だか気が楽になりむしろわくわくしてくる気がします