反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2018-10-12

 電車で前にいる人の持つスマートフォンの画面に「いざTwitterでつぶやこうとしてもつぶやくことがない人へ!」みたいな記事を読んでいて、手段と目的がどうなっているんだと思いました。逆パターンなんですかね。とりあえず何かお題を与えられて書いていれば、そのうち自分からでもアウトプットできるようになる、みたいな。
「書きたいことがない」状態が、もしかすると「書けることはたくさんあるのにそれを表現する能力がなかったり、それがあると気づく能力がなかったりする」状態なのかもしれません。それならそこを鍛えるしかないとは思います。ただ、そうではなく単に何か書いて注目を浴びたいが書きたいと思うことは何ひとつないしそもそも書くことが好きでもなんでもないなら、無駄だと思うのでやめたほうがいいです。

 画面を見ていたその人は頷きながら熱心に読んでいたので、そういうのが好きな人なんだなとは思いました。最近特にブロガーだったりなんか変な(知らないだけです)人たちが多いので、どうもそういうのはうさんくさいんですよね。
 伝えたいと思ったことを、伝えたい人が伝わってほしい人のために書いたものを読みたい。