反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2019-04-05

 ふと2012年に書いた記事のことを思い出しました。特にこのあたり。

A Santa lived as a devil at NASA.:回文。
レトリック・オア・トリート:修辞の扱い、ハロウィンにて。
long, wrong ago:昔々誤るところに。
みにくいアヒルのコタリピテ:やがて白鳥になる。
色取り取りな彩り緑:手取り足取り選り取り見取り。
見えざる手返し二十五階段:ひとえひとえに片心。
Shine beams, eats, rings and leaves.:輪で繰り返し意味を束ねよう。
木天蓼ネコと薇ワラビー:またたび猫は、二度、旅に出る。


 これら、実は先にノートに原稿があったんですよね。ノートに文章を書いてから、そこからブログ投稿した感じ。
 これだけだったらまだ「まあそうかな」って感じなんですけど、これ、さらに原案というか思考マップみたいなものがあって……。部屋の整理をしていたら出てきたので写真を撮りました。ノート原稿とともに載せておきます(『みにくいアヒルのコタリピテ』)。上で挙げた記事の大半はこの過程を経てます。こんなことやってたんだという感じ。


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↑原稿

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↑原案(?)

 ちょっと画像サイズが大きすぎた感はあります(調節の仕方がわからなかったので、カメラで撮ったまま載せました)。字がやや雑なのは、人に見られることを想定していなかったからです。ちゃんと(?)保管していた自分に驚きです。

 こういうたぐいのことをやって、ああいう記事を書いていたのがまだ未成年だったということに驚きつつも、ある種の気持ち悪さがあります。
 僕は果たしてあの頃から成長したのだろうか。成長しているのだろうか。


 と、いうわけで。
 今年度はそれにならって月1で同じように投稿しようかと思います。
 それ以外にも普通に書くかもしれないけれど、とりあえず最低限(?)。

 よろしくお願いいたします。
 成長や何らかの変化を実感できればいいなと思いつつ。

2019-02-23

 3月が近い!
 ちなみに、3月は旅に出る予定なのでTwitterができるか、ネットに繋げるかは今の所ちょっとわかりません。


・一番つらかった経験

 これ、実際に一番かどうかは置いておいて、印象に残っているつらかったことを言えばいいと思います。詳しくは後述します。

 以前お答えした中にあった「『正しさ』に執着しすぎる」という話も多少関係があるのですが、小学生のときの話ですかね。
 小学生から町の運動部に所属していたんですけど、端的に言うと、そこで指導者と揉めてしまって。
 指導者としてコーチと監督が1人ずついたんですけど、それぞれの言うことが噛み合っていなかったり、1人でも矛盾した指導、理にかなっていない指導をすることがあって、それを小学生ながら(というか、幼かったからこそできたのかもしれませんが)指摘したんですよね。そこでまあいろいろあって、単純に私の実力的にもやや足りない部分もありましたし、生意気だったんでしょう、蹴る殴る振り回されるのボコボコにされまして。
 ちょっとそこで思ったんですよね。正しさって一体なんだと。殴って制圧してそれでおしまいかと。まーあそのときの僕のブチ切れ方というのは尋常じゃなくて、いま考えてもまあそうなっちゃうかなという気はしています。自分の生きる中での軸がわからなくなったというか。自暴自棄みたいな。
 そういうこともあって、正しいことを、正しいと思っていることを言っても聞いてもらうことさえできないというのは大変つらいことなんだなというのはそのときに感じましたね。ただ、自分自身かなり根に持つタイプなので、小学校を卒業するときの部のお別れ会的なものでひとこと言う場面でもその話を掘り返して、あのときはこう思っていてこうしてほしかった、こうあるべきなんじゃないかって言いましたけど。やっぱり言わなきゃ駄目なんですよ。伝わってないのはないのと同じなので。
 まあこの経験は今の自分にかなり影響を与えているというか、今の自分の形成にあたって大きな部分を占めているかと思いますね。詳細は省きますが。


 一番かどうかは置いておく、というのは、それが一番であるかはさほど重要でないということです。その経験において何を感じたのか、どう行動したのか、それが後にどう関わっているのか、今の自分との関係を述べるのに良いエピソードがあればそれを話すということであって、エピソード「を」語るのはあまり良くない気がします。エピソード「で」語っていけ。
 結局のところ、どんな人であるか知りたいというのが大きいと思うので、それを示せればと思います。

2019-02-22

 わけのわからないつらさがあります。

 おそらくそれは、今までの楽しかった記憶や嬉しかった記憶があるせいなのだろうと思います。
 満たされていた過去があったことで、それがない現在が物足りなく感じてしまう。

 こんなことならなければよかった、と言ってしまう人の気持ちも少しはわかる気がします。
 だとしても、今を受け止める強さが必要なんです。

 自分は今、高みに登っているんだと、そう言い聞かせることでなだめています。
 このつらさは、消えたときに良い方向への推進力となるのだと。



 食事がきちんと摂れているので、そこはいいなとは思います。

2019-02-21

『丸の内サディスティック』を最近よく聴いています。

最近よく聴く曲
・『眩しいDNAだけ』ずっと真夜中でいいのに。
・『大人ごっこ緑黄色社会
・『青春なんていらないわ』三月のパンタシア


 質問に答えます。

・集団でのあなたの役割

 どちらかというとまとめる役割につくことが多いですね。あとは進行。人に話してもらって、それを解釈して繋げていくタイプ。反応速度と拾う感度はかなり高いことに定評があるので、誰かを無視するでもなく、いいタイミングで拾って返しています(そのつもりです)。
 反対意見を言う側面もあります。しばしば仮想敵を作るというか、あえて敵対というか反対してみて、進むべき道が正しいのかを考え直す感じ。
 また、人を見捨てる(?)のが苦手なので(割り切れない部分があるということだと思います)、誰もやらないなら自分がやるという感じでいろいろと引き受けてしまうことが多いですね。そのせいでやらなきゃいけないことが多くなって、自分のことが後回しになってしまうこともしばしば。もう少し自分自身を大事にしても良い気がします。


・友達からどういう人だと言われるか

「友達」が難しいところですけど、ここは漠然とした感覚で捉えていきます。
 かたい部分がある、「正しさ」に執着しすぎる、敵にしたくない、なかなかやる気を出さない
 とかですかね。もっと関わりが薄そうな人だとまた別の感想も出そうですけど、比較的よく関わる人はこういう話が多いですね。
 たしかに、「正しさ」というものにかなりこだわりがあるので、社会に出るとなかなか生きにくいと感じるものがあるのかもしれません。どうしても許せないこと、道徳的、倫理的、論理的に考えて間違えていると思ったことは、相手が誰であるかによらず感じていることを伝えてしまう部分があるので、組織として生きていく上では、もう少しタイミングを図りつつ、上手く立ち回らないといけないと思っています。小学生や中学生の頃も、そういったトラブルが起きていましたし……。敵にしたくないというのは、単純に、誰かの弱い部分や間違っている部分を見つけて指摘することが多いからだと思います。あまり関わりのない人でそういう面ばかり見られていると、少し怖いと思われているかもしれないです。また、「黙っていても怖さはあるけど、喋ったらより怖い」と言われたことがあります。こんなに毎日笑顔絶やさずはつらつとして生きているというのに! やる気に関してはあれです、表情にあまり出ないからだと思います。焦りとか。あとは単純に、自分が責任を持ってやっている限り、公開しない限りにおいてはどうなってしまっても受け止めると悟ってしまっているのかもしれません。
 柔軟な方だと思っていたんですけど、頭がかたいと言われることがよくあるので、そこは意識しないといけないと思っています。おそらく、こだわりが強く、自分の中で譲れないと思っていることに関しては強く出てしまうからなんだと思います。それ以外に関してはかなり寛容だと思っています。


これ、比較的よく聞かれる質問なんじゃないかなと思っています。


 こんな感じですけど、これも嘘を言ってもしかたないので限りなく本当のことかつ伝えたいこと(何を言えば自分のことをより伝えられるか)を考えて言ったほうがいいのかなと思います。
 基本的に「自己分析」みたいなことは特別していません。だってそれって日常みたいなものじゃん、と思います。自分がなぜその選択をしたのか、それは今までの何に基づいているのかを考えずに行動するということの方が自分にとっては珍しいので。就活みたいなタイミングになっていきなり自己分析だなんだと騒いでる人を見ると、今まで何を考えて生きてきたんだ(何も考えてなかったんだろうな)と思ってしまいます。まあ、その生き方のほうがいい感じ(?)に世の中を渡っていけそうな気もしていますけど、自分は絶対やらないなという感じです。

2019-02-20

 いつの間にか2月ももう終わりに近づいてきました。


 質問箱にて、何と答えるか気になる面接の質問があるらしく、いくつか挙げていただいたので少し答えようかと思います。
 いろいろな理由で答えにくい質問もあったので、答えやすいものからいきます。

・大学での学業成績の自己評価
 良いほうだと思います。ただ、もう少し力を入れていればそれだけ良くなっていただろうという伸びしろもあると思います。初年度はほぼ完璧なスコアだったので、姉からも「つまらない」と言われてしまいました。ただ、いくつかの試験で、評価基準に疑問を呈するものがあり、その影響で少しずつやる気が削がれたこともあります。
 ただ、今はちょっとお世辞にも「良い」とは言い難い成績であることは間違いないです。理由は単純に費やした時間が短いからですね。集中力自体はあると思っているので、エネルギーを放出するきっかけ、そのモチベーションの上げ方が課題になっていると思います。

 面接でこんなに素直に(?)言うとは思いませんが、純粋に感じていることを言えばいいと思いますよ。良いのか悪いのか、それはなぜか、何か努力した点はあるか、その結果どうなったか、このへんをしっかりと言えれば何にも問題ないでしょう。かなり簡単な質問だと思います。まず事実ありきなので。変にごまかしてよく見せる必要はないですね。

ビートボックス

 定期的に来て聞いて(ていきてきにきてきいて)という回文が気に入っています。

質問箱(しつもんばこ、意見箱などとも)とは、匿名の質問を募るためのもの。ポストのような箱を設置するものや、インターネット上のフォームを利用したものなど、目的や設置場所によってさまざまな形態のものがある。
                           ――Wikipedia


 Peing-質問箱(以下、質問箱)という匿名質問サービスを利用しています。

 私のページはこちら↓ 
peing.net


 定期的に来て聞いてください。基本的に質問にはお答えしています(現在、棄却した質問はありません)。

 Twitterにおいて、以前、別のアカウントを所持していました。
「はいどあ」でつぶやけないことがあるわけではないのですが、近頃の現実でのコミュニケーションのとり方を鑑みるに、知り合い始めたときにアカウントを教え合う傾向があり、実際に関わり合う人にいきなり公開してしまうのが少しだけ怖くなってしまったため、かといって教えるのを断ったり嘘をついたりするのも信条に反するので、教えるためのアカウント、いわゆる「リア垢」と呼ばれるものを作成したのです。
 そこでは、実生活で知り合った人をお互いにフォローしあい、業務連絡や日常の話題提供など、それは確かに生活を便利かつ豊かにするものではありました。
 ときどき、Twitterの使いかた変わってるねと言われることもありましたが。

 質問箱のサービスが開始する以前からインタビューズやAsk.fmといったサービス自体は利用していたのですが、使いやすさと利用人口を考慮した結果、乗り換える形で質問箱の利用をはじめました。
 リアルアカウントの方でも同様に利用しはじめたのですが、正直に言いますと、心地よいものではありませんでした。
 もちろん、特定はできませんが普段仲良くしていただいている人から、相談や個人的な質問、気になっていたことを聞かれることはあり、自分を知ってもらうためにも良いことではありましたし、誰かに助力できることは自分の価値がわずかながらも感じられて良いことではありました。
 ただ、悪意ある質問もあったということです。
 嫉妬なのか何なのか、おそらくごく少数ではあると思いますが、決していい気分にはならない言葉を浴びることもありました。
 何なんですかねあれは。叩きたいだけ、言いたいだけだとは思いますが、本当に気持ち悪いですね。

 そういうことを考えたときに、現在利用しているTwitterアカウントのフォロワーさんは「いいひと」ばかりだなと思いました。
 単に、叩くに値しない存在であるだけなのかもしれませんが。
 
 誕生日しかり先日のバレンタインデーしかり、リプライをくださったりプレゼントをくださったり、自己評価の低いタイミングでそういうことがあるとやはり揺らぐものはありますよね。ああ、自分にはそうされるだけの何かはあるんだと思っていいんだ、って。
 まあ人によって考え方は違うので、「そんなつもりじゃなかった」と言えばそこまでなんですけど。
「そんなつもり」とは。

 勘違いはしないように、だけど思いを受け取れるようにアンテナはしっかりと張りつつ、今後もやっていきたいと思います。

2019-02-13

 朝、いつもの道を歩きながら、ふと、何年か前に受験したときはこの道を歩いていたんだな、そのときは周りがよく見えていなかったのか、慣れていなかったのか、今とは全然見え方が違ったなと思っていました。

 駅の方まで歩いていると、いつもより明らかに多い人の流れがあるのを感じました。
 よくみると、保護者と学生が多い。
 近づいてようやく気がつきました。今日は入試なんだと。

 かばんにお守りをつけている高校生や、ビラを配ったり会場案内をしているスタッフ(おそらくその大学の生徒だと思います)がいて、やや懐かしいなと。
 あやうくパンフレットを受け取りそうになってしまったのは何とも言えない気持ちになりましたが。

 自分は精神的に成長しているのか、ときどき不安になります。
 見た目的な部分で言えば、むしろ4、5年前と比べて若返っているような気さえしています(気持ちだけかもしれませんが)。
 老けたかどうかは置いておいて、年が下の人、いわゆる「若い」人を見ても、馬鹿みたいに「若い~」と言うのだけはしないようにしています(馬鹿みたいに、というか、そういう言い方をすることが馬鹿みたいだと感じていると言いたいということです)。私たちもまだ十分若いと思うのです。

 大人になったら何をしようと思わなくなってしまったら、また、こどもの頃は楽しかったな、つらかったな、などと考えるようになったら、大人になってしまっているということなのかもしれません。どういう在り方でいることがよいことなのかはわかりませんが、どうありたいかを考えて、それに準ずるような行動や思考ができればと思っています。

 かじかんでいて文字を打つ手がぎこちないです。

2019-02-01

 体調が優れません。
 起きたら16時ころでした。
 頭がぼーっとしていますし、吐き気もします。

 気持ち悪いです。

 いつの間にかもう2月です。
 生きている心地がしません。
 病気なのかもしれないです。