反定立の灰になるまで

燃焼や研磨のあとに残る、何か

2014-03-02

 大学の文化祭で発表するというステージマジックの通し練習を見に行ってきました。

 目の前で現象が起きるもの(クロースアップ)とは趣が異なりますし、トリックの構造もかなり変わってくるものも多いです。そして何より「キャラクター」が求められます。どういう雰囲気で演じたいのか、何をする人なのか、何を伝えたいのか。「演じる」ということを忘れてはいけません。以前僕がステージに立とうとしていたとき、そのことについて非常に悩みました。「演じる」という感覚、これが難しかった。僕が何かをしているとき、頻繁に僕が「僕」を斜め上方から見ているような感覚に陥ってしまいます。もしくは、無意識的に動ける段階になくて、それとは正反対の、動作中に脳内で思考している状態が終わらないこともありました。考える癖が定着しすぎて、考えることをやめた途端に「考える自分」が離れていくのが感覚的に分かるような、そんな感じです。

 演者それぞれに異なる段階で課題があるようでした。もうほとんど完成の領域にある人がいる一方で、まだ初期の初期にあるという人。だから個別の評価が必要で、そこに優劣が付いてしまうのは仕方ないことではあります。厳しい言葉を受け取っているのを見たとき、少しつらくなりましたが、それをバネにしてほしいと思っています。僕も少しだけステージのモチベーションが上がりました。

 人と会わないと食事をしに外に出る機会が減るのはよくないです。